夏休み。
オンラインでのサマースクールも通算5週目とかかな。来週末で全ての授業が終わります。
一応、オンラインプログラムに関する実証研究で卒論を書こうと思っていたのでデータを集めてはいるけど、なんとなく先行きが怪しくなってきて、今はまだあんまり考えていません。笑
(2021年5月追記:結局卒論は別のテーマで書くことにしました!)
ロシア語は日に日に話せるようになっている感覚はある。今までは多くても週に2回しかネイティブと話さなかったのが今は週5回も話しているので確かに言いたいことがスッと言えるようになったこの感覚は気のせいじゃないはず。
でもどうしてわたしはこんなにもロシア語を勉強しているのだろう。
留学は元より興味がなく(極寒の地に長期滞在は無理)、院進は諦め、тркиの日本実施のテストは軒並み中止、ロシアに旅行することすらままならず、ロシア語を生かせる職に就きたいという願望はさらさらなければ、就職活動さえ始めてすらない。
将来の夢もなければ、憧れの何かもないし、やりたいこともなかったり、あってもすぐに飽きてしまう。
だけど先生と話すのが楽しい、他の国の生徒さんたちの国の話を聞くのが楽しい、自分も日本のことをいっぱい話したい、ただそれだけがモチベーションで、ただそれだけのために一生懸命に勉強している。
でも、よく考えたらこれこそ言語を学ぶ本質なのだろうな、と思った。
どうしてもテストのために、進学のために、就職のために…他人に評価されるために言語を習得して社会的な格付けで高い地位を得ることが重視される世の中になってしまったけれど、それではきっと大切なことを見落としている。
わたしが外国語学部で外国語を学ぶにあたって大切にしているある考え方がある。引用させてください。
外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在することを知ることです。
内田樹さんのブログの一部です。外国語を学ぶ人や外国語を教える人にはきっと何か力になってくれる記事だと思うので、リンクも載せさせてください。
http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html
わたしは内田樹さんのこの記事の内容を今回のサマースクールで身をもって感じた。あるテーマについて、日本ではこうだ、ロシアではこうだと、先生と話しながらロシア語を勉強する過程で、ロシア人の思考や歴史、文化に触れ、知ることができた。
内田樹さんの考えを実感できたことは、もちろん論文にはならないけれど、個人的にはとても立派な実証研究だと思う。
わたしはわたしが大学3年生の貴重な夏休みをインターンシップ全蹴りして外国語学部生として外国語習得に向き合ったことを誇りに思います。