全角140字から零れ出たこと

一個人の見解です。

«Маша и медведь про Японию»に見るロシア人の日本観

ロシアの子供向けアニメ«Маша и медведь»シリーズには日本をテーマにした回があり、そのなかで「ひなまつり」の曲に詞を載せた歌が登場する。その歌詞からロシアにおける日本のイメージについて考察してみる。

YouTubeのリンクはこちら。

【アニメ】https://youtu.be/fgsLjbVUaYA

【歌のみ】https://youtu.be/lMKqlFRCiu8

以下が歌詞です。わたしの日本語訳なので稚拙な訳出であることはご愛嬌。


Посмотри на это чудо, ты посмотри この奇跡を見て、あなたは見て

Как над 「①Фудзиямой」 загорается восход 「①富士山」の上に日が登り輝きだす

Море дышит светом утренней зари 海は夜明けの光の気配を感じさせる

И повсюду, и повсюду 「⑥сакура」 цветёт そしてどこでも、どこでも「⑥桜」が咲く


Ну а если, ну а если кто-то 「⑫загрустит」 ええと、ええと、誰かが「⑫悲しん」だら

От родного дома 「⑩путешествуя в дали」 家から「⑩遠く離れて旅をする」

Песней ветер в 「⑪тростнике」 зашелестит 風は「⑪葦原」で歌のようにざわめく

И под эту песенку станцуют 「⑦журавли」 そして「⑦鶴たち」は歌に合わせて踊る


Ты танцуешь и я танцую あなたは踊り、わたしは踊る

По-японски для вас спою я わたしはあなたのために日本語で歌う


Здесь мы будем любоваться 「⑧цветом хризантем」 私たちは「⑧菊の花」に見惚れる

И в 「⑨саду камней」 стихи для песен сочинять そして「⑨石の庭」で詩を作る

Если петь, то 「⑬грусть」 уходит на совсем 歌えば「⑬悲しみ」はすっかり消え去る

Так давайте, так давайте петь и танцевать それでは歌って踊りましょう


Ты танцуешь и я танцую あなたは踊り、わたしは踊る

По-японски для вас пою я わたしはあなたのために日本語で歌う

「②Суши, Манга, Сумо」, 「③Татами」, 「②寿司、漫画、相撲」、「③畳」

「④Караоке」 и 「⑤Оригами」 「④カラオケ」そして「⑤折り紙」

 

まず、①〜⑤は日本固有の単語である。富士山«Фудзияма»が格変化していることに驚いた。寿司、漫画、相撲はロシアだけでなく世界中で日本のイメージになっている。畳は柔道からきているのだろう。プーチン大統領が好きなこともありロシアで柔道は有名だということをモスクワ出身の友人から聞いたことがある。またカラオケは、モスクワ滞在時に街に多くのカラオケ店があり驚いたことを覚えている。最後の折り紙については後述する。

 

次に、⑥〜⑨はロシア人の日本観を表しているのではないかと思う部分である。

⑥の«сакура»「桜」について、ウラジオストクに短期留学していたときにお世話になった先生の愛犬の名前が«сакура»だった。先生は日本文化が好きで日本語も少し分かる方だったが、先生のお母さんは日本語が全くわからない方で、«сакура»のことを«вишня»(「サクラ亜属」の意味)と呼んでいた。このことから«сакура»は日本固有の単語に近いのではと思った。辞書には «Сакура — дальневосточная разновидность вишни.»「桜とはサクラ亜属の極東の亜種である」と説明されており、また、「ソメイヨシノ」は日本の亜種で対応のロシア語がないとの説明も載っていたことも興味深い。

⑦の«журавли»は「鶴」«журавль»の複数形であるが、これは動物の鶴というより折り鶴を表すのではないかと思う。第二次世界大戦時に広島で被爆された佐々木禎子さんの話は日本でも多くの人が知っていると思うが、ロシアでもこの話は有名だそうで、そこから折り鶴、そして先程述べた折り紙のイメージがあるのかもしれない。

⑧の«цветом хризантем»「菊の花」について、菊は日本の旅券に描かれていたり天皇や皇室の紋章になっていたりと公式に日本を表すイメージであろう。また、⑨の«сад камней»は直訳すると石庭、つまり枯山水のことを指す(石庭とは枯山水のなかの一つの様式で、木なども用いない石や砂だけで構成されている庭を指す)。こちらも日本を代表する文化である。

 

続く⑩、⑪は日本の要素であろうと考えられるものの、説明が出来なかった部分である。わたしの思考の痕跡を残しておく。

⑩の«путешествуя в дали»(遠くへ旅をする)について、遠くへ旅をしたといえば松尾芭蕉を思い浮かべるだろう。しかし、彼は「奥の細道」で「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、…白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、…」と述べているように、旅をしたくてたくてたまらなくなって旅に出る。対してこの歌詞では«если кто-то загрустит, от родного дома путешествуя в дали»「誰かが悲しくなったら旅に出る」と言っているので、松尾芭蕉のことを指しているのではない気がする。

⑪«тростник»「葦」と聞いてわたしが思い浮かべたのは新古今集の伊勢の和歌「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」である。和歌はロシアでは«Вака»「和歌」や«японская песня»「日本の歌」としてВикипедия(ロシア語版Wikipedia)のページがあるぐらいには知られているが、特にこの伊勢の和歌がロシアにおいて有名ということはなさそうだ。また、«японский тростник»「日本の芦」で画像検索をかけてみたところ簾らしき画像が出てきた。調べてみると簾は竹や芦を原料に作られており、「御簾」は小倉百人一首の人物描写にも描かれていたほど歴史も長く日本のイメージではあると思う。しかし、歌詞では«в тростнике»(芦の中で)つまり芦原で、のように使われているため簾のことでもなさそうだ。

 

最後に⑫、⑬の単語はどちらも「悲しい、寂しい」という意味を表す(⑫は動詞、⑬は名詞)。この歌に出てくる唯一の感情の表現であるが、これは単に悲しさ寂しさを表すのではなく、日本特有の「侘」、「寂」を表しいているのではないかと思う。そう考えると先程⑩の部分で説明がつかなかった«если кто-то загрустит, от родного дома путешествуя в дали»「誰かが悲しんだら家を遠く離れて旅をします」について少し説明がつく気がする。松尾芭蕉は侘、寂を深化させその美を追求した人物として有名である。そして「さびと孤独とのかかわりは、旅を通して…すこぶる緊密である。」『芭蕉における「さび」の構造』(1973.復本一郎 塙選書77)と述べられているように、寂の境地にあるもののひとつが旅であり、芭蕉は漂泊の旅の中で歌を詠み続けたのだ。

 

以上の点から、この歌にはただ単に日本文化を取り入れるだけにとどまらずその歴史や思想にまで着目して表現していることが窺えると思う。もちろん、ここに挙げたものはすべてわたしの個人的な考察に過ぎないのだが。