全角140字から零れ出たこと

一個人の見解です。

卒業に際して

先日、無事大学を卒業しました。

卒業判定が発表された際に学籍番号を見たのだが、いずれの専攻も飛び飛びで外国語学部の多様性を改めて感じた。

わたしは運良く現役で合格して、運良く留年を回避し、休学や留学も経験することなく卒業し、院進することもなく就職することになったが、周りを見れば、浪人、留年、休学、留学、院進、退学…こう書き連ねているだけでいろんな人の顔が浮かぶ。自分の意思でそうした人、事情によりそうせざるを得なかった人、みんなそれぞれの決断に拍手を送りたいし、一歩進んだ勇気を讃えたい。

自分の人生を自分の足で歩んでいる。みんなそれぞれかっこいいよ。

 

わたしの高校、大学生活は「逃げ」が多かった。文転、受験、就職。ライフイベント毎の選択肢を全て自分が楽できるような道を選んできた。勿論、目先の楽さを優先させたばかりに大学2年生は勉強しても勉強しても本当に進級が危なくて苦労した思い出もあるけれど。

高校、大学ととても恵まれた環境にいたので、周りにはたくさんの努力する人がいた。まだまだお子様だった高校時代は、努力するなんてダサい、みたいに思っていた節もあったけど、流石にもう分かっている。努力できなかった自分が恥だし、最低だった。

「苦手」をやめる理由にしない。最近突き刺さった言葉。過去に戻ったってわたしはまた逃げるだろうから、せめてこれからの将来に、わたしが逃げないように。どうせ自由な社会人、好きなことのために努力できるカッコいい大人になろう!

わたしの将来の夢2022ver

①3年後までに叶えたい夢

・高校時代に向き合ってこなかった勉強をする

・いろんな魚介類や甲殻類を飼ったり取ったりして触れ合う

②10年後までに叶えたい夢

・大学に再入学する

・海外進出する!ロシアもまた行きたい

③死ぬまでに叶えたい夢

のどかな町に寺子屋を開いてみんなが楽しく過ごせる場所を作る

身近な観賞魚の生理学

この記事はとある授業で提出した最終レポートを元に執筆したものです。淡水魚にどハマり中のわたしの学習記録として、身近な観賞魚として人気の高いキンギョとメダカを取り上げて、その相違点や生理学について末尾の参考文献を元に言及しました。

 

キンギョとメダカは共にホームセンターなどで売られているようなとても人気のある観賞魚である。ホームセンターに訪れる人々は両方の魚について「魚である」という認識でしか持っていないだろう。しかし、キンギョとメダカにはしっかりと違いがある。

もちろんどちらも魚類であるので、それらは動物界、脊索動物門、条鰭綱という生物分類学における「綱」の階級までが同じである。ちなみに、「綱」というのは魚類の下位分類の一つを指す言葉である。

まず、キンギョとメダカは「綱」以下の分類が全く異なっており、キンギョはコイ目、コイ科、フナ属、キンギョという分類で、メダカはダツ目、メダカ科、メダカ属、メダカという分類である。

 

また、キンギョとメダカの大きな違いは狭塩性か広塩性かという点である。キンギョを50%の濃度に薄めた海水で泳がせると、3時間も経てばその生残率は0になる。50%に薄めた海水でこの有り様なので、キンギョは海水中では生きられない淡水魚である。

淡水か海水かどちらか一方でしか生きられない魚は狭塩性の魚と呼ばれる。一方メダカは、実は淡水のみならず海水でも生きることができる広塩性の魚である。

 

なぜ同じ「魚」であるのに狭塩性、広塩性という違いが生じるのだろうか、と。この疑問を解決するためには、浸透圧調節について知る必要がある。

浸透圧とは、二つの濃度が異なる液体が半透膜(水のみを通す膜)を介して隣り合った時に、濃度を一定に保とうとして水が濃度の薄い側から濃い側に移動する圧力のことである。

魚はそれぞれ海水、淡水に適応するべくこの浸透圧を調節しながら生きている。魚における半透膜とは鰓である。また、海水においては、濃度が濃いのは海水、濃度が薄いのは魚の血液、淡水においては、濃度が濃いのは魚の血液、薄いのは淡水ということになる。

 

まず、狭塩性で淡水魚であるキンギョの浸透圧調節について説明する。キンギョは周りの水よりも自身の血液の方が塩分濃度が高いため、周りの水が鰓を通じて勝手に体の中に入ってくる。この勝手に入ってきた余分な水を捨てる必要があるため、多量の尿を作って排出することで調節をする。

また、魚の鰓というものは完全なる半透膜ではないためある程度塩分の行き来が生じる。そのためキンギョの体から貴重な塩分が流出してしまうのだが、その分キンギョは体外から塩類を取り入れる仕組みを持っている。

淡水でしか生きられない狭塩性の魚は、淡水中に溶けているわずかな塩類を鰓にある塩類細胞から取り込んでいるのだ。

 

メダカもまた、淡水中を泳ぐ際は先に述べたキンギョと同様の浸透圧調節をする。一方で海水中を泳ぐ際には、周りの水が自身の血液よりも塩分濃度が濃いため、脱水が起きてしまう。そこで体内に水分を取り入れるべく水を多量に摂取する。しかし、摂取できる水は塩辛い海水であるため、余分な塩分まで摂取することになる。

海水魚やメダカのような海水でも生きられる広塩性の魚はこの体の余分な塩分を鰓にある塩類細胞から排出する仕組みを持っている。

 

このように淡水魚と海水魚の浸透圧調節では、どちらも鰓にある塩類細胞が重要な役割を担っていることがわかったが、この塩類細胞こそが、キンギョとメダカの違いである狭塩性と広塩性の鍵である。

キンギョをはじめとする淡水の狭塩性魚では塩類細胞が周りの水からの塩類の取り込みに特化しているので、海水魚のように塩類を排出することはできない。逆に海水の狭塩性魚(例えばマグロなど)の塩類細胞は塩類の排出が専門で、取り込む能力はない。

一方でメダカのような広塩性魚の塩類細胞は環境水の塩分濃度に応じて、塩類を取り込んだり排出したりと、臨機応変に働きを切り替えることができる。

 
参考文献
金子豊二.2015.「キンギョはなぜ海がきらいなのか?」.恒星者厚生閣.p17-18,p37-38,p43-48,p58
会田勝美・金子豊二.2013.「増補改訂版 魚類生理学の基礎」. 恒星者厚生閣.p204-233

東山文化と足利義政

中公新書に「日本人と日本文化」という、司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏の対談を収録した一冊がある。その中で取り上げられていた東山文化と足利義政について、彼らの言葉をたくさん拝借しながら考察してみようと思う。

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東山文化は室町時代の文化であるが、現代の日本人につながっている生活文化を中心に、建築やものの考え方の起源はたいてい室町時代である。お茶やお花、能や狂言といった芸術は言わずもがな、物事を記録する習慣が庶民にも身についたのもこの時代である。

 

東山文化が現代日本に深く影響を与える理由はいくつか考えられるが、いちばんは応仁の乱だろう。応仁の乱で文化の源泉である公家たちが地方に避難したことで日本の地方文化が花を開いた。例えば雪舟が造った庭や彼が描いた絵は全国のいろんなところにある。前の時代だったら当然ながら京都だけにあったはずだ。また、学者関白である一条兼良の図書館が応仁の乱で焼けたことで、平安時代の貴重な物語や歌集が焼けて分からなくなってしまったが、もしこれらがそのまま残っていたらその後の新しい文学は生まれることがなかっただろう。応仁の乱とはどうしようもなく無意味で、ただ騒ぐだけの戦争だったが、文化的側面から考えると日本人の文化史を一変させたとでも言えるのではないか。

 

東山文化と切っても切れない関係にある人物は室町幕府の第八代将軍である足利義政だ。義政の人となりには謎が多いと思う。応仁の乱のいちばん激しい戦闘が京都の花の御所であったとき、義政は平気で恋愛をし、酒宴を日ごと夜ごと催して遊んでいたという。当時、京都は街の十分の九が焼けた。飯尾彦六左衛門常房は「汝や知る都は野辺の夕雲雀あがるを見ても落つる涙は」と詠んだという。

一方で義政は自分の知っている人間に対しては心底親切に接した。明治時代以前の貴族の中で唯一、人間は生まれながらに平等であるということを言い続けた人物である。義政は河原に住んでいた阿弥たちをも自分のお座敷に上げてやったという。

 

義政は政治家としてはろくでなしである。現代であればとうに文春砲を食らっているだろう。彼の祖父である義満は国を統一したり勘合貿易を行なったりと政治的に活躍した。もちろん風流の面から言っても申し分なく、特に能については観阿弥世阿弥が称賛するほどの専門家である。義政には祖父のような政治能力はない。或いは、彼は自ら限界を定めて政治から積極的に逃げていたのかもしれない。だから、「人間は生まれながらに平等だ」と言ったそばから応仁の乱で苦しむ人々をよそ目に酒宴に恋愛に遊び暮らしたのかもしれない。

 

義政が建てたことで有名な寺といえば慈照寺である。建設当時の日本人にとっては、現代と同じく銀よりも金が貴重だった。また、もう既に義満が建てた金閣寺があるから、義政はこれから建てるものは初めから前のものほどになれないことを知っていた。ここでもまた義政は初めから自分の世に限界があると感じていたのか、或いは限界を意識的に設けていたのかもしれない。

しかし、どうも現代人の感覚としては、金のような眩しい色よりも銀のような淋しく渋い色の方が日本的だと思わずにはいられない。もちろん感じ方は個人の主観なので一概にそうであるとは言えないが、わたしも慈照寺の方がしっくりくるし、好みである。

 

日本人はもとより将軍というものにそれほど政治家であることを期待していない。もちろん前の鎌倉時代の執権北条氏のように政治家としての手腕を発揮させた人物も一定いるにしろ、特に義政は風流であることだけが人生の価値で、人のために政治をすることに価値を見出していなかったのではないか。義政の、政治や自分の立場についての諦念観であったり、その中でただ風流を追い求め文化を大切にする姿勢というのが日本人には美徳のように感じられるのかもしれない。そしてこれもまた、東山文化が現代につながる文化である理由なのかもしれない。

«Маша и медведь про Японию»に見るロシア人の日本観

ロシアの子供向けアニメ«Маша и медведь»シリーズには日本をテーマにした回があり、そのなかで「ひなまつり」の曲に詞を載せた歌が登場する。その歌詞からロシアにおける日本のイメージについて考察してみる。

YouTubeのリンクはこちら。

【アニメ】https://youtu.be/fgsLjbVUaYA

【歌のみ】https://youtu.be/lMKqlFRCiu8

以下が歌詞です。わたしの日本語訳なので稚拙な訳出であることはご愛嬌。


Посмотри на это чудо, ты посмотри この奇跡を見て、あなたは見て

Как над 「①Фудзиямой」 загорается восход 「①富士山」の上に日が登り輝きだす

Море дышит светом утренней зари 海は夜明けの光の気配を感じさせる

И повсюду, и повсюду 「⑥сакура」 цветёт そしてどこでも、どこでも「⑥桜」が咲く


Ну а если, ну а если кто-то 「⑫загрустит」 ええと、ええと、誰かが「⑫悲しん」だら

От родного дома 「⑩путешествуя в дали」 家から「⑩遠く離れて旅をする」

Песней ветер в 「⑪тростнике」 зашелестит 風は「⑪葦原」で歌のようにざわめく

И под эту песенку станцуют 「⑦журавли」 そして「⑦鶴たち」は歌に合わせて踊る


Ты танцуешь и я танцую あなたは踊り、わたしは踊る

По-японски для вас спою я わたしはあなたのために日本語で歌う


Здесь мы будем любоваться 「⑧цветом хризантем」 私たちは「⑧菊の花」に見惚れる

И в 「⑨саду камней」 стихи для песен сочинять そして「⑨石の庭」で詩を作る

Если петь, то 「⑬грусть」 уходит на совсем 歌えば「⑬悲しみ」はすっかり消え去る

Так давайте, так давайте петь и танцевать それでは歌って踊りましょう


Ты танцуешь и я танцую あなたは踊り、わたしは踊る

По-японски для вас пою я わたしはあなたのために日本語で歌う

「②Суши, Манга, Сумо」, 「③Татами」, 「②寿司、漫画、相撲」、「③畳」

「④Караоке」 и 「⑤Оригами」 「④カラオケ」そして「⑤折り紙」

 

まず、①〜⑤は日本固有の単語である。富士山«Фудзияма»が格変化していることに驚いた。寿司、漫画、相撲はロシアだけでなく世界中で日本のイメージになっている。畳は柔道からきているのだろう。プーチン大統領が好きなこともありロシアで柔道は有名だということをモスクワ出身の友人から聞いたことがある。またカラオケは、モスクワ滞在時に街に多くのカラオケ店があり驚いたことを覚えている。最後の折り紙については後述する。

 

次に、⑥〜⑨はロシア人の日本観を表しているのではないかと思う部分である。

⑥の«сакура»「桜」について、ウラジオストクに短期留学していたときにお世話になった先生の愛犬の名前が«сакура»だった。先生は日本文化が好きで日本語も少し分かる方だったが、先生のお母さんは日本語が全くわからない方で、«сакура»のことを«вишня»(「サクラ亜属」の意味)と呼んでいた。このことから«сакура»は日本固有の単語に近いのではと思った。辞書には «Сакура — дальневосточная разновидность вишни.»「桜とはサクラ亜属の極東の亜種である」と説明されており、また、「ソメイヨシノ」は日本の亜種で対応のロシア語がないとの説明も載っていたことも興味深い。

⑦の«журавли»は「鶴」«журавль»の複数形であるが、これは動物の鶴というより折り鶴を表すのではないかと思う。第二次世界大戦時に広島で被爆された佐々木禎子さんの話は日本でも多くの人が知っていると思うが、ロシアでもこの話は有名だそうで、そこから折り鶴、そして先程述べた折り紙のイメージがあるのかもしれない。

⑧の«цветом хризантем»「菊の花」について、菊は日本の旅券に描かれていたり天皇や皇室の紋章になっていたりと公式に日本を表すイメージであろう。また、⑨の«сад камней»は直訳すると石庭、つまり枯山水のことを指す(石庭とは枯山水のなかの一つの様式で、木なども用いない石や砂だけで構成されている庭を指す)。こちらも日本を代表する文化である。

 

続く⑩、⑪は日本の要素であろうと考えられるものの、説明が出来なかった部分である。わたしの思考の痕跡を残しておく。

⑩の«путешествуя в дали»(遠くへ旅をする)について、遠くへ旅をしたといえば松尾芭蕉を思い浮かべるだろう。しかし、彼は「奥の細道」で「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、…白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、…」と述べているように、旅をしたくてたくてたまらなくなって旅に出る。対してこの歌詞では«если кто-то загрустит, от родного дома путешествуя в дали»「誰かが悲しくなったら旅に出る」と言っているので、松尾芭蕉のことを指しているのではない気がする。

⑪«тростник»「葦」と聞いてわたしが思い浮かべたのは新古今集の伊勢の和歌「難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや」である。和歌はロシアでは«Вака»「和歌」や«японская песня»「日本の歌」としてВикипедия(ロシア語版Wikipedia)のページがあるぐらいには知られているが、特にこの伊勢の和歌がロシアにおいて有名ということはなさそうだ。また、«японский тростник»「日本の芦」で画像検索をかけてみたところ簾らしき画像が出てきた。調べてみると簾は竹や芦を原料に作られており、「御簾」は小倉百人一首の人物描写にも描かれていたほど歴史も長く日本のイメージではあると思う。しかし、歌詞では«в тростнике»(芦の中で)つまり芦原で、のように使われているため簾のことでもなさそうだ。

 

最後に⑫、⑬の単語はどちらも「悲しい、寂しい」という意味を表す(⑫は動詞、⑬は名詞)。この歌に出てくる唯一の感情の表現であるが、これは単に悲しさ寂しさを表すのではなく、日本特有の「侘」、「寂」を表しいているのではないかと思う。そう考えると先程⑩の部分で説明がつかなかった«если кто-то загрустит, от родного дома путешествуя в дали»「誰かが悲しんだら家を遠く離れて旅をします」について少し説明がつく気がする。松尾芭蕉は侘、寂を深化させその美を追求した人物として有名である。そして「さびと孤独とのかかわりは、旅を通して…すこぶる緊密である。」『芭蕉における「さび」の構造』(1973.復本一郎 塙選書77)と述べられているように、寂の境地にあるもののひとつが旅であり、芭蕉は漂泊の旅の中で歌を詠み続けたのだ。

 

以上の点から、この歌にはただ単に日本文化を取り入れるだけにとどまらずその歴史や思想にまで着目して表現していることが窺えると思う。もちろん、ここに挙げたものはすべてわたしの個人的な考察に過ぎないのだが。

国語の先生

あなたが小説を読んで感じたこと考えたこと、それはすごく大切な気持ちだから絶対に蔑ろにしてはならないし、それを感想文にしたり誰かと話し合ったりして言語化することもすごく大切なことだと思う。だけど国語の読解問題はあなたの感想を書くものじゃない。あなたが今しないといけないことは文章の登場人物の感情の動きと行動を掴んで問題作成者の求める解答を作り上げること。

 

今日わたしが塾の生徒さんに話したこと。

わたしは国語という教科が嫌いだ。入試問題の国語なんて意味ねえって思うし、特に小説を題材に問題を作ろうと思ったやつ誰だよやめろよ、とさえ思う(アンチ)。

 

国語の問題というのは文章に書かれてあることが概ね理解できて、問題作成者の問うていることが理解できれば誰でも解ける。あとは人に伝わる言葉にして答えるための基本的な語彙力が必要かもしれないけど、間違ってもそこにセンスは必要ない。

だからわたしは中学時代も、高校時代も国語の成績が良かった。もちろん単語と文法を覚えないといけない古典は壊滅的だったけど。

 

今は塾でアルバイトをしているので生徒さんたちにはひたすらそのノウハウを伝えているけど、こんなの彼らの人生にとってほんとうに無駄な時間だといつも思う。ほんとうは論説だろうと小説だろうと出てきた文章についてどう感じたかみんなならどう考えるかをいっぱい話し合いたい。

問題作成者は筆者の意見のこの部分をまとめろと言っているだなんて淡々と説明してみんなの解答と問題作成者の求める解答とのズレをひたすら埋めていく作業だなんてなにが楽しい?

今日、小説を題材にした問題を解いていて、俺やったらここでこうするわ〜って生徒さんが言ってくれて、なんか、ハッとなった。そうだよね、わたしならこうするなぁって言えばよかったなあ…とか、ちょっとだけ後悔。

わたしのアルバイト先の塾は教材の指定以外には授業の形式も指導の仕方も自由なので、そういう授業をすることもできなくもない。だけど、やらない。入試にはみんなの感想を書く問題は出ないから。

だから今日も、こんな教科はこんな問題は要らねえと心の中で叫びながら淡々と授業をする。

 

わたしの中学時代の恩師は一度だけ、とても独創的な授業をしてくれたことがある。いつもは教科書の内容のまとめを黒板に汚い字で板書するだけの新米教師だったのに。

その授業は「桃太郎の最初の一行に続けて自分たちの物語を作る」というものだった。班のみんなで協力して一人一文ずつ、話の流れが繋がるように、そして何より個々の感性を活かして好きに創作していく。みんながみんな頭を捻って一生懸命に言葉を紡ぎ出す、その時間がとても楽しくて7〜8年経った今でもあの感覚を鮮明に覚えている。

 

ああそうか、わたしはあの時間に憧れてあの時の先生に憧れてわたしもこんな風になりたいと思ったんだ。

大学生になって教職の授業を取って教師の現実を知った。わたしはきっと教師にならない。だから、中学生に教えられるのも今年度までか、もしくはあと一年か。だったらどうせノウハウを伝えるだけの授業であっても、彼らの人生にちょっとだけでも国語って楽しいなって思ってもらえる時間にできるようにもっと工夫したいなあ、などと。

夏休み。

オンラインでのサマースクールも通算5週目とかかな。来週末で全ての授業が終わります。

一応、オンラインプログラムに関する実証研究で卒論を書こうと思っていたのでデータを集めてはいるけど、なんとなく先行きが怪しくなってきて、今はまだあんまり考えていません。笑

(2021年5月追記:結局卒論は別のテーマで書くことにしました!)

 

ロシア語は日に日に話せるようになっている感覚はある。今までは多くても週に2回しかネイティブと話さなかったのが今は週5回も話しているので確かに言いたいことがスッと言えるようになったこの感覚は気のせいじゃないはず。

 

でもどうしてわたしはこんなにもロシア語を勉強しているのだろう。

留学は元より興味がなく(極寒の地に長期滞在は無理)、院進は諦め、тркиの日本実施のテストは軒並み中止、ロシアに旅行することすらままならず、ロシア語を生かせる職に就きたいという願望はさらさらなければ、就職活動さえ始めてすらない。

将来の夢もなければ、憧れの何かもないし、やりたいこともなかったり、あってもすぐに飽きてしまう。

 

だけど先生と話すのが楽しい、他の国の生徒さんたちの国の話を聞くのが楽しい、自分も日本のことをいっぱい話したい、ただそれだけがモチベーションで、ただそれだけのために一生懸命に勉強している。

 

でも、よく考えたらこれこそ言語を学ぶ本質なのだろうな、と思った。

どうしてもテストのために、進学のために、就職のために…他人に評価されるために言語を習得して社会的な格付けで高い地位を得ることが重視される世の中になってしまったけれど、それではきっと大切なことを見落としている。

 

わたしが外国語学部で外国語を学ぶにあたって大切にしているある考え方がある。引用させてください。

 

外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在することを知ることです。

 

国語学習について ー内田樹の研究室

 

内田樹さんのブログの一部です。外国語を学ぶ人や外国語を教える人にはきっと何か力になってくれる記事だと思うので、リンクも載せさせてください。

http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html

 

わたしは内田樹さんのこの記事の内容を今回のサマースクールで身をもって感じた。あるテーマについて、日本ではこうだ、ロシアではこうだと、先生と話しながらロシア語を勉強する過程で、ロシア人の思考や歴史、文化に触れ、知ることができた。

内田樹さんの考えを実感できたことは、もちろん論文にはならないけれど、個人的にはとても立派な実証研究だと思う。

 

わたしはわたしが大学3年生の貴重な夏休みをインターンシップ全蹴りして外国語学部生として外国語習得に向き合ったことを誇りに思います。